FC2ブログ

ダンマサークル 京都黄檗道場勉強会 参加しての考察               2017年12月16日 吉水秀樹



《 冥想で体得する スカsukhaと ピーティpīti 
 【安楽と喜び】について 》

『もろもろの苦しみ(dukkha)の止滅、形成(sankhāra)の止滅は、安楽である』という、イティヴッタカにある言葉から面白い話し合いになりました。冥想実践で体得する、幸福や喜びについてです。以下は私の勝手な考察です。

 仏教の道を歩み出して体験する、幸福や喜びは世俗のそれとは確かに違います。まず、何もないところ、今ここに「喜び」があらわれます。冬のこの時期なら、背中に日差しを感じて「喜び」が生まれます。ブランケットに触れている温かな感覚から「喜び」が生まれます。求めたわけでは無く、喜悦感の追求もないので、害のない純粋な喜びで、あらわれては消えて行きます。この「喜び」を私はピティと呼んでいます。言葉の響きもピッタリしています。

 さて、そこで苦しみdukkhaの反対と言われている、sukhaスカ=幸福・安楽とはどんな感じなのかと話し合いが進みました。最初に俗世間で言われている幸福とは、なんども話してきた幸福感のことです。欲しいものが手に入った幸福感や、結婚式のパーティで浮かれて酔っているいるような幸福感のことです。ブッダの説く幸福は、幸福感ではありませんのん。

家に帰ってからいろいろ調べていました。そうして、鈴木一生さんとスマナサーラ長老の共著から次のようにスカを整理しました。

★アティ スカ atthi sukha
「正しく得た財があることを楽しむ」

 世の中には財に恵まれて、豊かな物財があるのにそれを楽しむことを知らないことが如何に多いことか。有り余る物財に囲まれても、なお「あれがない、これがない、あれが欲しい、これが欲しい」としている人は幸福ではありません。「私には、すべてものは揃っている」と思った瞬間に幸福はここにあります。私もこのように宣言できます。
 
 ★ボーガ スカ bhoga sukha 
「正しく得た財を使って楽しむ」

 すべて必要なものが揃っているのに、使わない、使おうとしない人が多いのです。お金を持っているのに使わない、「今使ったら老後が心配だ・何時お金が要るかわからない」と、いつも心配ばかりして、使って楽しむことを知らない人が多いのでしょう。
 子宝に恵まれたら、子どと遊ぶことは楽しいことなのに、遊ぼうしない。自分も一緒に楽しもうとしないで、「ああしろ、こうしろ」と命令ばかりして、あるしは仕事ばかりにかまけて、そうして、子どもや伴侶からも嫌われてしまう。今あるものをあるがままに十分楽しむことが二番目のスカです。
 私は、豊かな物財に恵まれてそれを使って楽しんでいます。本堂という贅沢な冥想道場があって、毎日冥想に励んでいます。毎月多くの人が訪れて、冥想し仏教の学びの場として使って楽しんでいます。車やスクーターお金も、あるものを大いに使って、人生を楽しんでいます。これがボーガスカということでしょうか。

★アナナ スカ anaṇa sukha
「私には借りがない、後悔もない」

 人に対して借りがない、借りがないということは自由だということです。銀行からお金を借りてその返済のことが何時も気になっていたら、人生が楽しめなくなります。年老いた親がいて、親の世話や十分な親孝行ができないで日々の雑務に追われています。そこに親の訃報が飛び込んできて、「親に恩返しができなかった」と後悔する。
「私は成すべきことはしっかりやった、もう借りはない」と楽で爽やか感覚が三番目のスカです。

 ★アナワジャ スカ anavajja sukha
「私の人生で間違ったことをしていない」

 三番目のスカと少し重なりますが、ここでは人生の究極において、間違いがなく、後悔や憂いがないことを言っているようです。
 人生の終局において、「~しておけばよかった」と考えることは暗い思考です。そのようなこころでこの世を終えたら、そのような暗いこころの生命に生まれてしまいます。
 毎日眠る前に、「今日はよい一日であった」「~ができた」「私はいつ死んでもよい」というように、「~してよかった」という毎日を暮らし、「いつでも死ねる」というのが、最後のスカのようです。
「これをしたい、あれもしたい」という人は、本当は明るい人ではありません。冥想においても、「私はなにも願うことはありません」「何かになりたいとするものはありません」と、こころが落ち着いて坐っていることが「ありのまま」でしょう。解脱とは何かになることではないようですが、この勘違いをしている人が多いように思います。

 今回の考察で再度理解したことは、仏教で説くスカ、幸福・安楽とは、「憂いのないこと」「ドゥッカのないこと」であり、やはり幸福感でないことです。ブッダの説く幸福は、感じるという、喜怒哀楽の世界とは異う、憂いや苦しみのない世界であることが再度確認されます。
 
 もし、癌になって余命一ヶ月と宣言されて、癌が治ったら幸福というような幸福観ではとうてい幸福とはいえません。 幸福は今ここにこそあるもので、「いつか、こうなったら幸福になる」という考えが不幸です。

『もろもろの苦しみ(dukkha)の止滅、形成(sankhāra)の止滅は、安楽である』



スジャータ1
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント