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スッタニパータ 第五 彼岸に至る道の章 2 アジタ経  (意訳 吉水)

パーリ語勉強会 2017年6月29日 報告 吉水秀樹


冥想

今月からスッタニパータの第五章に入りました。五章はアジタをはじめとした16人のバラモンとブッダの問答が収録されています。四章と同じように初期仏教経典の中でも最古の部類にあり、正真のブッダの言葉が収められていると考えても間違いないと思います。
最初の「序」では、「頭が七つに裂けて、落ちる呪いについて」のバラモンの質問があります。ブッダはこの迷信に対して、「無智で真理を知らないことが頭で、それなのに自分には知識があると思っていることが、頭が落ちることです」と確信をもって明瞭に答えました。

 さて、トップのアジタさんからの質問です。冥想修行者のバラモンの質問なのでしょっぱなから高レベルの問答で、覚悟して読む必要があります。 ※印は私の解説です。


スッタニパータ 第五 彼岸に至る道の章 2 アジタ経  (意訳 吉水)

1032 かくの如く、アジタさんが尋ねた、「世の人々は何によって、迷い覆われているのですか? 何によって光り輝かないのですか? 世尊は何を汚れと説くのですか? いったい何を大いなる恐怖と説くのですか?」と。

1033 世尊は答えました、「アジタさん、世の人々は、無智によって覆われています。物欲と物惜しみのこころがあり、物欲と物惜しみのこころのままに、怠け気づきがないので光り輝かないのです。私はこの欲しい、何かでありたいとするこころを汚れと説きます。悩み苦しみを大きな恐怖と説きます」と。

※ブッダは、悩み苦しみが多く幸福をしらない理由は、まず「無智」にあると説きます。そして、貪欲と物惜しみに終始して、怠けて気づきの光がありません。それなのに何か欲しい、何かでありたい、何かを成し遂げたいと欲にまみれてこころが汚れています。この悩み苦しみの姿を恐怖と説いています。

1034 アジタさんが尋ねました、「欲望の流れは、あらゆるところに向かって流れて行きます。どうしたら、欲望の流れを止めることができますか? 欲望の流れを制御するものを説いて下さい。欲望の流れは、何よって塞ぐことができますか?」と。

※欲望の流れとは、条件づけられた五蘊の動きのことです。健康な人でも冥想で直ぐに確認できますが、六外処(色・声・香・味・触・法)と、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が触れれば、感覚器官が動き出し認識作用が始まります。この条件づけされた動きを、「あらゆるところに向かって流れていく」と言っているのです。つまり、思考や感情の五蘊の動き、生滅の連鎖、輪廻をくい止めるにはどうしたらよいのかと尋ねているのです。

1035 世尊は答えました、「この世にそのような欲望の流れがあるとして、気づきがそれらの流れの止めることができます。欲望の流れは、智慧によって制御され塞がれます」と。

※ここでブッダは明確に、「気づき」(気づきの冥想・ヴィパッサナー冥想)で、それらの流れをくい止めることができると説いています。また、欲望の流れを完全に塞ぐのは「智慧」であると語っています。こんな風に明確に語っていること自体が驚きです。

1036 アジタさんが尋ねました、「智慧が欲望の流れを制御し、気づきが欲望の流れを止めるというのなら、世尊よ、名称や命名と形や現象世界について、私に説いて下さい。どこにおいて、この名称と現象世界は消滅するのですか」と。

※上記の問題を解決するカギは、「名色」の問題であることはアジタさんも知っています。
名=ナーマnāma(名称と命名、精神作用)と、色=ルーパ rūpa(物質・形があるとすること)「名色」の問題がこの問題解決のカギなのです。後に「名色分離智慧」とも説かれるようになりました。見たことや考えたことが事実ではないという真理。思考は真理に至らない。マハーシ式のヴィパッサナー冥想で、お腹の膨らみという言葉と、実際の膨らみは異なる。目で見て目の前に「ペットボトルがあります」と言って、それが事実であると考えて、それが正しいとしたら冥想も何も始まりません。

1037 世尊は答えました、「あなたがこの問いを尋ねたので、アジタさん、それについてあなたに答えます。つまるところ、名称・命名する働きと、形があるとする考えとが、余すことなく消滅するには、考えることが滅し尽きることで、それら(命名と形成)が、今ここにおいて消滅します」と。

※ブッダの短い言葉ですが、真理を明確に提示しています。この言葉の真意が体感できるでしょうか? 冥想において、音や色・光に触れて、「カラス」「ペットボトル」「自動車」と命名して、それらの対象があるとして対象化して、それを事実としていたら冥想は始まりません。それ故に「音・音・音」と確認します。名=nāmaとは、名称や命名です、nāmaの方は表面的な知識の記憶であり、意識のレベルです。色=rūpaの方は、名が消えても「対象がある」とする考えは無意識のレベルまで深くあります。私たちは普段、対象として物質が「ある」としていますが、真理は「無我」「無自性」であり、対象とされる実体はありません。この真理を冥想で体験するわけです。それには、思考・考えることを止めることが肝心でよとブッダが説いているのです。

1038 アジタさんが尋ねました、「真理を究めた人々がいて、また、真理を究めようと学ぶ多くの人々がいます。敬礼すべき方よ、彼らの正しい、生き方・行為のあり方を私に説いて下さい」と。
※アジタさんはブッダの言葉をその場で了知したようです。そこで総論のような最後の問いを投げかけます。これは冥想実践者の具体的な生き方、生きる方法を、尋ねているのです。また、無学(もう学ぶ必要のない人)、有学(解脱に至っていない求道者)、凡夫の三つに分けて尋ねています。

1039 世尊は答えました、「修行者は欲楽を貪り求めないように、こころに汚れのない者としてあるように。すべての世界において巧みな智慧あるものとして、常に気づきのある比丘として、とどまることなく遊行するように」と。

※ブッダの答えは明瞭です。しかも、三者の分類はなく一つの道を明確に説きます。つまり、冥想実践者は、
★欲・楽・pleasure・喜びを貪り求めることがないような生き方をしなさい。
★こころに、欲・欲望・欲情や、怒り・後悔・批判・差別のない者として生きなさい。
★この世のどんな場所にいても、智慧あるものとして生きなさい。
★常に「気づき」を保ちなさい。
★どんなことでも、固定することなく冥想の楽の世界に生きなさい。

◎正田先生の話を聞いて、アジタさんの究極の問いかけを整理すると。
アジタさんは、「この悩み苦しみの連鎖はどこで終わりますか?」とブッダに問うわけです。さて、皆さんはこのブッダの回答は何だと思いますか? 
 1037偈の最後にブッダはその答えを明確に語っています。
 ブッダの答えは、「今、ここにおいて消滅します」です。時間をかけて思考を使って努力を上に、涅槃が「ある」という考えはどこか間違っています。ブッダの教えは、「常に今ここ」にあることをこころするへきです。


冥想2

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