初期仏教「 京都ダンマサークル」  黄檗道場勉強会 9月19日 報告(No,1) 吉水秀樹


   『関係について』
 夫婦関係・家族関係・社会的な人間関係、生きるということはズバリ「関係する」ということのようです。
 極一般的に言っている「関係」とは、その正体を観察したら、執着のことであったり、利害のある慢であったり、背後に生存欲が見え隠れする妄想である場合がほとんどです。
 会社でのストレスのある人間関係は生きる為の手段でしょう…
 愛情の壊れた夫婦関係はそもそも夫婦とも呼べないし、金づる、哀れな人間の生きるための選択肢でしかありません。動物なら見向きもしない相手に対して、利害を作ってわざわざ近づいているわけですね。

 普通の夫婦や家族にもそれ(毒)が混じったりしています。そのような関係ではない関係はあるのでしょうか?
 もしあるならそれは、今ここにありのままにあるようですね… 過去や思考を介在せずに…
 それは関係なのか何なのか、良くわかりません。関係のない関係なのでしょうか? もし、「愛」っていうものがあるならそれかもしれません?

追加: たまたま遅れていって配られた資料に十八界のことが書いてありました。知っておくと冥想の助けになると思います。

 仏教用語。すべての存在をわれわれの認識関係からとらえた 18種の世界。
①六根 → 眼,耳,鼻,舌,身,意の6種の感覚器官
②六境 → その対象である色,声,香,味,触,法の6種
③六識 → 対象と感覚とによって生じる6種の心の働き,すなわち眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識 。

冥想でも、先ず六根の「耳」があります。これは自体は認識できないと思います。
そこに六境の「声」が触れます。「声」自体も認識できるのかは私は解りません。
そうして、六識の耳識があらわれます。「カラス」というのがそれに該当するのか、「音」なのか、ここも私はよく解りません。
「カラスが鳴いている」ではないと思います。これは思考ですね。五蘊(色受想行識)の「想」までは、六識の耳識なのでしょうか?
ともかく、私たちが認識するのは、六根でもなく、六境でもなく、六識なのではないでしょうか? そういう訳でこの世に真実在としてあるのは、この十八界だけというのは、真実であって、「ワタシ」とか「スマナサーラ長老」とか「金正恩」とかは妄想の産物、作られたものだと思います。真実在としてのスマナサーラ長老はおられます。
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