講座案内

講座案内

【英知の学び交流会】

8月6日 土曜日 (原則 第一日曜日) 13:00~17:00
場所 京都仏教サンガ・黄檗道場(所在地地図参照)

問い合わせ先(メール) daikan_shoda@yahoo.co.jp(正田 大観)
内容 古今東西にわたる真理の言葉を題材に覚者の智慧について学びます。

学びのガイド 正田大観

【京都ダンマサークル】

8月19日(土曜日) (原則 第三土曜日)・13:00~17:00
場所 京都仏教サンガ・黄檗道場(所在地地図参照)

問い合わせ先(メール) kusalams@yahoo.co.jp(関 政範)
内容 パーリ経典をテキストに初期仏教一般について学びます。

学びのガイド 正田大観


問い合わせ先(メール) anyouji28@outlook.jp (吉水 秀樹)
内容 クリシュナムルティのビデオやテキストを題材にブッダの冥想を学びます。

学びのガイド 吉水秀樹



* 日程は原則。月によって変更する場合があります。初参加の方は事前の問い合わせが必要です。
* 参加費は喜捨(カンパ・目安500円)
* 参加資格はありません(真剣な探究者であること、それだけです)。
* テキストはこちらで用意いたします。手ぶらでお越しください。


 真実在への取り組みについて、和やかに話し合うのに都合のいい場所で落ち合う、二十人から二十五人くらいの人々から成る、会費も会員資格もない小さなグループを持つほうが、賢明なのではありませんか? いかなるグループも排他的にならないようにするために、時々メンバー同士が励まし合ってもいいし、別の小さなグループに参加してもいいかもしれません。こうすると、グループは拡張し、狭まったり、偏狭になったりしないでしょう。

 高い所に登るためには、低い所から始めなければなりません。この小さな始まりから、人はより正常で、より幸せな社会つくりに貢献できるかもしれないのです。

     J・クリシュナムルティ(コスモス・ライブラリー刊『四季の瞑想』p.365)

スポンサーサイト

講座案内

【英知の学び交流会】

7月2日 日曜日 (原則 第一日曜日) 13:00~17:00
場所 京都仏教サンガ・黄檗道場(所在地地図参照)

問い合わせ先(メール) daikan_shoda@yahoo.co.jp(正田 大観)
内容 古今東西にわたる真理の言葉を題材に覚者の智慧について学びます。

学びのガイド 正田大観


【みんなの仏教】

7月8日 土曜日(原則 第二土曜日)・13:30~17:00
場所 浄土宗・羽戸山安養寺(所在地地図参照)

問い合わせ先(メール) anyouji28@outlook.jp(吉水 秀樹)
内容 ブッダの冥想を実践し参加者一同で意見交換をします。


【京都ダンマサークル】

7月15日(土曜日) (原則 第三土曜日)・13:00~17:00
場所 京都仏教サンガ・黄檗道場(所在地地図参照)

問い合わせ先(メール) kusalams@yahoo.co.jp(関 政範)
内容 パーリ経典をテキストに初期仏教一般について学びます。

学びのガイド 正田大観


* 日程は原則。月によって変更する場合があります。初参加の方は事前の問い合わせが必要です。
* 参加費は喜捨(カンパ・目安500円)
* 参加資格はありません(真剣な探究者であること、それだけです)。
* テキストはこちらで用意いたします。手ぶらでお越しください。


 真実在への取り組みについて、和やかに話し合うのに都合のいい場所で落ち合う、二十人から二十五人くらいの人々から成る、会費も会員資格もない小さなグループを持つほうが、賢明なのではありませんか? いかなるグループも排他的にならないようにするために、時々メンバー同士が励まし合ってもいいし、別の小さなグループに参加してもいいかもしれません。こうすると、グループは拡張し、狭まったり、偏狭になったりしないでしょう。

 高い所に登るためには、低い所から始めなければなりません。この小さな始まりから、人はより正常で、より幸せな社会つくりに貢献できるかもしれないのです。

     J・クリシュナムルティ(コスモス・ライブラリー刊『四季の瞑想』p.365)

 『冥想の実際・感覚と身体について』

  『冥想の実際・感覚と身体について』
安養寺みんなの仏教報告 2017年7月8日 吉水秀樹

対面

 問い、直観で答えてください。
「身体あるから感覚があるのでしょうか?」、それとも「感覚だけがあって、身体があると思っているのでしょうか?」
 言葉を使った質問なので、少々の矛盾点はありますが、このような問いかけにあなたはどう答えますか? 
答えを出すことに意味はなく、あなたがどのように見ているのかということが肝心です。

① 身体があってはじめて、感覚が生まれる
② 身体もあって、感覚もあって二つともあるでしょう
③ 身体があると感じているのが感覚なので、感覚だけがある

このような問いかけから、普段何気に「ある」としている「身体とは何か?」「感覚とは何か?」。 それらは、ありのままの事実なのか観念(つくられたもの)なのか? 私たちが当たり前としていることに、懐疑の光をあてるわけです。これが気づきの冥想の本質です。

たとえば、ブッダは私たちが「世界」と呼んでいるものを六根と六境だと喝破しました。六根=眼・耳・鼻・舌・身・意、六境=色・声・香・味・触・法これが、私たちが世界と呼んでいるものの真相だというのです。
また、世界は「一つ」という言葉でも言い表せます。分けられない、分別できないという意味です。私とかあなた、鳥、机と呼んでいるものは、分別でつくられたものです。

さて、「般若心経」が好きな人が多いですね、私はもう卒業しましたが、そのなかに「色即是空」という言葉がありますね。「色」とは、身体のことでもあります。つまり「身体という実体はない」という意味です。「色即是空」だけが一人歩きしていますが、その後に「受・想・行・識・亦復如是」と書いてあります。「受」が「感覚」のことです。つまり、受即是空・想即是空…といういみです。「感覚という実体もない」という意味です。 中略
 
 そんなわけで、気づきの冥想を精進している人は、質問の答えを③と答えた人が多いのではないかと思うのです。詳細には違いがありますが…。しかし、その「感覚」としているものも、名称であって「つくられたもの」です。真理は「無常・苦・無我」なので、そこで「感覚」をさらに観察するなら、次に「四大」がうっすらと見えてきます。四大とは「地・水・火・風」のことです。
私たちが感じている感覚とは、一種のエネルギーのことです。違いますか、こころというエネルギーに外界のエネルギーが触れて、エネルギーが顕れます。このエネルギーが四大のことです。たとえば「地」と呼んでいるエネルギーは、堅さや重さの認識です。どんな感覚に触れても、そこに堅さと重さの要素があります。これ以上はアビダンマの世界になるので、私には難解で話せませんが、冥想で「感覚の真理」を発見することは、冥想の中核になることは間違いないでしょう。

初期仏教勉強会のお知らせ

案内

初期仏教勉強会のお知らせ
聖号 来る7月17日(月)海の日、アチャン・ニャーナラトー師をお招きして、第四回の初期仏教勉強会を開催いたします。
 参加希望の方は、下記の案内の要領に従ってお申込み下さい。
日時 2017年 7月17日 月曜日・海の日 午後1時~
場所 安養寺 本堂
内容 講話と質疑応答
※参加には申し込みが必要です。下記アドレスに、住所・氏名・電話番号を書いてお申込み下さい。管理番号をお渡しします。
Eメール→ anyouji28@outlook.jp

スッタニパータ 第五 彼岸に至る道の章 2 アジタ経  (意訳 吉水)

パーリ語勉強会 2017年6月29日 報告 吉水秀樹


冥想

今月からスッタニパータの第五章に入りました。五章はアジタをはじめとした16人のバラモンとブッダの問答が収録されています。四章と同じように初期仏教経典の中でも最古の部類にあり、正真のブッダの言葉が収められていると考えても間違いないと思います。
最初の「序」では、「頭が七つに裂けて、落ちる呪いについて」のバラモンの質問があります。ブッダはこの迷信に対して、「無智で真理を知らないことが頭で、それなのに自分には知識があると思っていることが、頭が落ちることです」と確信をもって明瞭に答えました。

 さて、トップのアジタさんからの質問です。冥想修行者のバラモンの質問なのでしょっぱなから高レベルの問答で、覚悟して読む必要があります。 ※印は私の解説です。


スッタニパータ 第五 彼岸に至る道の章 2 アジタ経  (意訳 吉水)

1032 かくの如く、アジタさんが尋ねた、「世の人々は何によって、迷い覆われているのですか? 何によって光り輝かないのですか? 世尊は何を汚れと説くのですか? いったい何を大いなる恐怖と説くのですか?」と。

1033 世尊は答えました、「アジタさん、世の人々は、無智によって覆われています。物欲と物惜しみのこころがあり、物欲と物惜しみのこころのままに、怠け気づきがないので光り輝かないのです。私はこの欲しい、何かでありたいとするこころを汚れと説きます。悩み苦しみを大きな恐怖と説きます」と。

※ブッダは、悩み苦しみが多く幸福をしらない理由は、まず「無智」にあると説きます。そして、貪欲と物惜しみに終始して、怠けて気づきの光がありません。それなのに何か欲しい、何かでありたい、何かを成し遂げたいと欲にまみれてこころが汚れています。この悩み苦しみの姿を恐怖と説いています。

1034 アジタさんが尋ねました、「欲望の流れは、あらゆるところに向かって流れて行きます。どうしたら、欲望の流れを止めることができますか? 欲望の流れを制御するものを説いて下さい。欲望の流れは、何よって塞ぐことができますか?」と。

※欲望の流れとは、条件づけられた五蘊の動きのことです。健康な人でも冥想で直ぐに確認できますが、六外処(色・声・香・味・触・法)と、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が触れれば、感覚器官が動き出し認識作用が始まります。この条件づけされた動きを、「あらゆるところに向かって流れていく」と言っているのです。つまり、思考や感情の五蘊の動き、生滅の連鎖、輪廻をくい止めるにはどうしたらよいのかと尋ねているのです。

1035 世尊は答えました、「この世にそのような欲望の流れがあるとして、気づきがそれらの流れの止めることができます。欲望の流れは、智慧によって制御され塞がれます」と。

※ここでブッダは明確に、「気づき」(気づきの冥想・ヴィパッサナー冥想)で、それらの流れをくい止めることができると説いています。また、欲望の流れを完全に塞ぐのは「智慧」であると語っています。こんな風に明確に語っていること自体が驚きです。

1036 アジタさんが尋ねました、「智慧が欲望の流れを制御し、気づきが欲望の流れを止めるというのなら、世尊よ、名称や命名と形や現象世界について、私に説いて下さい。どこにおいて、この名称と現象世界は消滅するのですか」と。

※上記の問題を解決するカギは、「名色」の問題であることはアジタさんも知っています。
名=ナーマnāma(名称と命名、精神作用)と、色=ルーパ rūpa(物質・形があるとすること)「名色」の問題がこの問題解決のカギなのです。後に「名色分離智慧」とも説かれるようになりました。見たことや考えたことが事実ではないという真理。思考は真理に至らない。マハーシ式のヴィパッサナー冥想で、お腹の膨らみという言葉と、実際の膨らみは異なる。目で見て目の前に「ペットボトルがあります」と言って、それが事実であると考えて、それが正しいとしたら冥想も何も始まりません。

1037 世尊は答えました、「あなたがこの問いを尋ねたので、アジタさん、それについてあなたに答えます。つまるところ、名称・命名する働きと、形があるとする考えとが、余すことなく消滅するには、考えることが滅し尽きることで、それら(命名と形成)が、今ここにおいて消滅します」と。

※ブッダの短い言葉ですが、真理を明確に提示しています。この言葉の真意が体感できるでしょうか? 冥想において、音や色・光に触れて、「カラス」「ペットボトル」「自動車」と命名して、それらの対象があるとして対象化して、それを事実としていたら冥想は始まりません。それ故に「音・音・音」と確認します。名=nāmaとは、名称や命名です、nāmaの方は表面的な知識の記憶であり、意識のレベルです。色=rūpaの方は、名が消えても「対象がある」とする考えは無意識のレベルまで深くあります。私たちは普段、対象として物質が「ある」としていますが、真理は「無我」「無自性」であり、対象とされる実体はありません。この真理を冥想で体験するわけです。それには、思考・考えることを止めることが肝心でよとブッダが説いているのです。

1038 アジタさんが尋ねました、「真理を究めた人々がいて、また、真理を究めようと学ぶ多くの人々がいます。敬礼すべき方よ、彼らの正しい、生き方・行為のあり方を私に説いて下さい」と。
※アジタさんはブッダの言葉をその場で了知したようです。そこで総論のような最後の問いを投げかけます。これは冥想実践者の具体的な生き方、生きる方法を、尋ねているのです。また、無学(もう学ぶ必要のない人)、有学(解脱に至っていない求道者)、凡夫の三つに分けて尋ねています。

1039 世尊は答えました、「修行者は欲楽を貪り求めないように、こころに汚れのない者としてあるように。すべての世界において巧みな智慧あるものとして、常に気づきのある比丘として、とどまることなく遊行するように」と。

※ブッダの答えは明瞭です。しかも、三者の分類はなく一つの道を明確に説きます。つまり、冥想実践者は、
★欲・楽・pleasure・喜びを貪り求めることがないような生き方をしなさい。
★こころに、欲・欲望・欲情や、怒り・後悔・批判・差別のない者として生きなさい。
★この世のどんな場所にいても、智慧あるものとして生きなさい。
★常に「気づき」を保ちなさい。
★どんなことでも、固定することなく冥想の楽の世界に生きなさい。

◎正田先生の話を聞いて、アジタさんの究極の問いかけを整理すると。
アジタさんは、「この悩み苦しみの連鎖はどこで終わりますか?」とブッダに問うわけです。さて、皆さんはこのブッダの回答は何だと思いますか? 
 1037偈の最後にブッダはその答えを明確に語っています。
 ブッダの答えは、「今、ここにおいて消滅します」です。時間をかけて思考を使って努力を上に、涅槃が「ある」という考えはどこか間違っています。ブッダの教えは、「常に今ここ」にあることをこころするへきです。


冥想2